ことわざはアウトプットであってインプットではない

悩んでいるとき、考えているときに、ことわざとか、格言とかなんでもいいけど短くまとめられた言葉が役に立ったことがない。問題が解決して振り返ったときに、端的に表すとことわざでうまく表せたりする。
短い言葉は多くの意味を含むけれど、受取る人によっていかようにも解釈しうるから、人を動かすにはあまり効果的ではないと思っている。
短い言葉に実感を持たせるには、広大なバックエンドを必要とする。自分の体験では、学生時代に読んだ「姑獲鳥の夏」「解体屋外伝」「勇午 ロシア編」が特に思い出深い。
「僕は人間を信じたのです」(勇午)という、これだけ聞くと何とも陳腐な台詞。それにどれだけ意味を持たせられるかは著者の力量が物をいう。このロシア編は今読んでも涙が出る。
最近だと、映画「スラムドッグ・ミリオネア」の最初に仕掛けられたクイズは、映画を見終わると思わずガッツポーズしたくなる問いかけだし、先日のJava-jaでは、「スティール・ボール・ラン」の「黄金の回転」というキーワードにみんな盛り上がっていた。*1
だから、文化的な共通項があると、短い言葉に共通認識を得やすい。かつては、ことわざにもそんな状態を期待できたんだろうか。


さてなんで改めてそんなことを思ったのかというと。
eXtreme Programming(XP)は「シンプル」「コミュニケーション」「フィードバック」「勇気」という「四つの価値」を定めている。先日XPを説明している社内の資料を見たのだが、価値から説明されても、知らない人には何のインパクトももたらさないと感じたから。だいたい、自分だってこの「価値」を分かっている自信がない。
人になにかを伝えるには、小説や映画を作るような多大な努力と感性が必要なのだろう。講義では網羅的に教えなければならないという、お約束を打ち破ることも。
能書きをたれるより、気づきを与えること。人に教えるにあたってはとても重要なのだが、一番難しいことかもしれない。


そうしてみると やっとむ (id:yach) がやっているプロジェクトゲームはとても効果的だと改めて思う。


勇午 4 (アフタヌーンKC)

勇午 4 (アフタヌーンKC)

解体屋外伝 (講談社文庫)

解体屋外伝 (講談社文庫)

*1:とりあえず第五部読破